人間とは何かと理由をつけて行動する生き物。「できない理由」を探し始めた時点で終わりが始まる。〜岸 幸太郎〜
人間とは何かと理由をつけて行動する生き物。「できない理由」を探し始めた時点で終わりが始まる。
「感謝の気持ちを忘れないで頑張ることが自分の夢や目標を叶えてくれる。」でプロサッカー選手に「なれない理由」という言葉を使いました。
その「なれない理由」とは、言い換えると「できない理由」になるのではないでしょうか。
「なれない理由」は「できない理由」への第一歩
どうして「なれない理由」が「できない理由」につながるかと思う人もいるかもしれません。
たしかに同じ言葉でも同じ意味でもないわけですし、イメージしづらいかもしれません。
しかし、この言葉にはつながりがあるんだなと思うきっかけとなったことが最近ありました。
それはある本の内容と自分の高校時代の出来事がリンクし、すごく考えさせられたからです。
その本にはこんなようなことが書かれていました。
この文を読んだ瞬間、高校時代のことを思い出しました。
一度だけサッカーを辞めた高校2年の秋
高校2年の秋頃、私は2ヶ月程サッカーを辞めました。
辞めたというよりサッカーから逃げたという方が正しいかもしれません。
中学時代は一個上の試合にも出て、同年代の試合でもスタメンで出て、とても緊張感のある楽しい毎日をおくっていました。
中学生最後に行われる「高円宮杯U-15」という年代の日本一を決める大会では、決勝戦に点を決めて優勝する事もできました。
夏にはクラブチームの日本一を決める大会があり、そこでも点を決めて日本一になることができました。
夏と冬と日本一になり、そこで点を決めることができ、自分の中でも自信になる本当に幸せな時間でした。
しかし、ここから私のサッカーに対する思いが少しずつ変わってしまいました。
中学生最後の大会の予選で怪我をしてしまいました。
決勝までは安静にしていたのですが決勝はどうしても出たいという事でテーピングをして試合にでました。
その結果、悪化したかどうかという詳しいことはわかりませんが半年以上復帰できませんでした。
高校生になって「みんながより激しくトレーニングをしているのに自分は何をしているんだろう。」と思い、焦る日々が続きました。
「このままじゃやばい、おいてかれる。」って。
そんな思いを半年以上持ち続けやっと復帰する事ができました。
しかし「復帰してすぐに出られない苛立ち」「今まで試合に出ていた自分が出られていないという変なプライド」「練習をしてないことで感じたみんなとの能力の差」が自分のサッカーに対する想いを邪魔しました。
それは自分の頭の中に常に「怪我」という文字を言い訳にしていた結果だと思っています。
怪我を理由に「〜しない」「〜するのが怖い」「〜はできないからしょうがない」など常にしない理由とできない理由を「怪我」という言葉につなげていた気がします。
自分と向き合わずに逃げていただけ
そんなようにマイナスな考えばかりを働かせていた自分は「プロサッカー選手になる」という言葉からも少しずつ離れていました。
すると今度は「プロサッカー選手になれない理由」を探すために「できない理由」や「できないこと」を見つけるようになっていました。
ちょっとした怪我でナーバスになったり、勉強という方向に逃げたり、サッカー以外に時間を費やしたり、いま思えば自分は何をしていたんだろうと思います。
誰にでも起こり得る怪我という状況を言い訳に、変なプライドをもち、そのプライドを捨ててがむしゃらになれない自分は「ただただ逃げていた」だけでした。
逃げていた結果、2ヶ月間サッカーを辞めるといった行動につながったのは間違いありません。
そんな私がなぜ戻って来れたかというと、自分にはたくさんの仲間がいてくれたからです。
同期、先輩、後輩、監督、コーチ、トレーナー、マネージャー、スタッフ、家族、友達…全員が仲間で居てくれたからです。
監督の言葉
その中でも監督に言われた「お前は怪我から逃げているだけだろ」という言葉が戻るきっかけの一番の理由でしたね。
図星だったし、唯一その言葉をかけてきたことに当時の自分は腹をたてました。若かったんですね。
絶対辞めない。この人に認めてもらうために絶対負けないと思いました。
そこからはサッカーに対して本気で取り組み、再び自分に厳しい時間を送ることができました。
ただ、まだまだ努力は足りなかったし、やはりここで悩んで立ち止まった2年間は本当に本当に大きかったですね。それは良い意味でも悪い意味でも。
この期間のせいで悔しくて後悔する部分は本当にたくさんありました。
けど人生の中でこの期間がなかったら自分は人間として成長できていなかったという思いもあります。
だからこそ、この経験を無駄にしないようにサッカーに対する考え方も自分の人生観も見直していこうと改めて考えることができました。
いろいろな葛藤があったけど、いま振り返ってみると「プロサッカー選手になれない理由」を探すための「できない理由」や「できないこと」を見つけることで「ならない選択肢」をたくさんつくっていたのでしょう。
最後に
冷静になった今、私はなにがあってもマイナス面に目を向けてできない理由を探るのではなく、どんなに小さいことでも「できる理由」を少しでも多く見つけることに努力しています。
みなさんも辛いことや悲しいこと、うまくいかないことが必ずあると思います。
そういうときこそ「今の自分には何ができるのか」「今の自分にしかできないことは何なのか」という部分に目を向けてみてはいかがでしょうか。
きっと笑顔の溢れる毎日に変わっていくと思いますよ。
少し長くなってしまいましたが最後まで読んで頂きありがとうございました。
p.s.
少しでも多くの方に読んで頂けたら嬉しいです。是非、あなたの大切にしているまわりの方にも共有できるようご協力お願い致します。
岸 幸太郎氏プロフィール
氏名 岸 幸太郎(キシ コウタロウ)
生年月日 1990年6月19日
kishikotaro.com
経歴
■学校法人湯沢学園さしおうぎ幼稚園 卒園
■さいたま市立馬宮東小学校 卒業
■さいたま市立土屋中学校 卒業
■埼玉県立大宮南高等学校 卒業
■東京学芸大学 中等教育教員養成課程 保健体育専攻 卒業
■NPO法人はちきたSC(現在)
競技歴
■指扇幼稚園SSC
■大宮指扇SSS
→県大会出場
■浦和レッズジュニアユース
→高円宮杯U-15サッカーリーグ全国優勝、Jユースカップ全国優勝
■浦和レッズユース
→高円宮杯U-18サッカーリーグ全国優勝
■東京学芸大学蹴球部(副主将、ゲームキャプテン)
→関東2部リーグ第2位(1部昇格)
■アローレはちきたFC(選手兼コーチ)
→東京都2部リーグ所属
指導歴
〈サッカー〉
■学大クラブコーチ
■ミラクルキッズコーチ
■NPO法人はちきたSCサッカースクールコーチ
■アローレはちきたFCジュニアユースコーチ
■アローレはちきたFCトップチームコーチ
〈その他〉
■文部科学省事業「地域スポーツとトップスポーツの好循環推進プロジェクト」
→ピボットフット2013 派遣アスリート
■小学校体育コーディネーター
■小学校体育講師
■コーディネーション運動ゲスト講師
■NPO法人はちきたSCヨガストレッチ指導員
■NPO法人はちきたSCユニバーサルスポーツ指導員
取得資格
■日本体育協会公認クラブマネジャー(H26年度取得見込)
■中学校教諭一種免許状(保健体育)
■高等学校教諭一種免許状(保健体育)
■司書教諭
■日本サッカー協会公認4級審判員
■日本サッカー協会公認C級コーチ
■日本サッカー協会公認キッズリーダーU-6
■ライフスポーツ財団公認キッズスポーツトップインストラクター
■日本ストレッチング協会認定ストレッチングトレーナーセルフ
■東京消防庁 消防総監認定 応急手当普及員
■実用英語検定準2級合格
■普通自動車免許取得
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